許可を頂いて施術例を一部公開します。
セッションに入る際に、身体がある課題を取り上げるように指示してくることがあります。それは体に関することであったり、心や精神的なものである場合もあり、この事例の課題は、「何に対しても面倒くさいという気持ちがあるので、自分のために建設的な行動をとれるようになるには・・」というものでした。
脳のドレナージュから始まりましたが、これは脳の思考や感情の停滞にアプローチするもので、脳脊髄液の流れや、脳の神経伝達を促すときに最初に出てくることが多い項目です。
次に、五行に対応する項目の中の「病的な感情」のバランスを取り、身体に溜め込まれ、解放されないままの怒りや悲嘆、恐れの感情を解放し、頭頂チャクラと基底チャクラのバランスをとり(大きくは陰陽のバランスを表します)、その後は第8チャクラを取り扱いました。
第8チャクラが表すものは、私達の誕生の時から既にプログラムされているもので、過去からの「生前のプログラム」です。
ここでは直系の先祖からの遺伝的特性として受け継いだ情報を突き止めたり、直系の先祖とは無関係に受け継いだその他の影響を突き止めたりするための、過去への入り口として活用されます。この「生前のプログラム」が、何らかの形でDNAに組み込まれていて、それが心身に何らかのレベルで現れているというのが第8チャクラの理論です。
今回浮かび上がったものは、現在に影響を及ぼす幾つかの過去の悲壮な体験でした。
遥か数千年前のある出来事の現場において、とてもひどい事件の現場に居合わせたために筆舌に尽くし難いほどの苦しみを覚え、人間というものの存在に不信感を抱いた過去が映りました。
芸術家として現れた2つの過去生では、一つは、人間嫌い、孤高、自分の殻に閉じこもり、神と大自然を友とする、孤高であり偉大な芸術を生み出しはするが排他的な生き方が伝わっておりました。
片や深く内的宇宙に埋没し、人の存在を心に留めず、対話の相手は生きている人間ではなく、神なる大自然の仕組みばかりに目がいき、人間同士の心の交流を疎んじる孤高な探究者の生き様。双方には驚くほどの共通点が見てとれます。
そして、遺伝的な宗教特性として、レスポンシビリティー・シンドローム(責任感からくるストレス症状)。
また、直系の先祖二人から伝わる習性として、完璧主義と、一切の妥協を許さず細部にこだわり抜く不自由な生き方が遺伝していました。
さもありなん、そうとしか表現しようのない、共通するところのある経歴を観ることとなりました。これはなんとつらい生き方であったことでしょうか。察するに余りあります。説明の必要がないほどに、読まれる方も私と同じように感じられるのではないかと思います。ここを生き抜いてきた人であるから、直接的ではないけれど例の課題につながるのもなんとなくわかるような気がしませんか?
最後は自分自身への許可で終わりました。自分の名前を入れて「・・は時空を超えたすべての生き苦しさから解放され、精神の自由を得、自由自在になることを自分自身に許可します。」最適なフレーズはこれ以外には考えられませんでした。
これら経験という経験のすべては、その時点で処理されるか解決されるかしていれば、やがて生きていく上での知恵へと変わっていきます。
ところが、経験が十分に処理、昇華されなければ、感情的な負債を残す形となり後世へ引き継がれるのです。いわゆるカルマのことです。
深い情動は、強いエネルギーとして存在し続けます。
また、一度生じた(生み出した)エネルギーは消えることがなく、そのエネルギーを調和させる方法を持ってこないことには(バランスのとれた状態に戻さないことには)残り続けるのです。
我々人間は、いつかどこかで発した偏ったエネルギーを中和させんとして、そうとは知らずに葛藤する存在なのでありましょう。
憎しみ、そして愛のないところには愛を、恨みには赦しを、争いには調和をもってしか、エネルギー状態をニュートラルに戻す術はないのです。
本来すべてのエネルギーはニュートラルであることが自然な状態である、とされています。
「蒔いた種は刈りとらなければならない」との名言がありますが、各々が自分の発したエネルギーに責任を持つことが出来れば、まずは自分の心から、やがて周囲へと好ましい変化を及ぼしていくことができるのではないかと思います。
第8チャクラに現れることも、この世界に偶然は一つもなく、すべては必然であるという宇宙に遍満する法則から見れば、縁(機縁、または周波数の一致)によって各々引き付けられていくのであろうから、「そろそろこれを取り扱いなさい、そうできる時ですよ」と促してくれているようにも思えます。そのように観たときには、深い洞察となり、苦悩が知恵へと変わっていくことでしょう。
ご参考になれば幸いです。