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ボディートークの歴史

創設者 Dr.ジョン・ヴェルトハイム

ボディートークの基礎が、現在のような形で確立されたのは1996年のことです。創設者はオーストラリアのブリスベーン鍼灸・自然療法カレッジにて校長も務めたDr.ジョン・ヴェルトハイムです。カイロプラクター鍼灸師の資格を持ち、自身のクリニックも運営していたヴェルトハイム氏は、東洋医学への造詣が深く、その研究範囲は応用運動学、スポーツ医学、バイオエネルギー療法、オステパシー、カウンセリング、比較哲学など広範にわたっていました。クリニックも予約だけで1年待ちというほどの盛況ぶりだったのですが、やがて働きすぎて慢性免疫疾患にかかってしまいます。

西洋医学の医師たちからは、命が危ないかもしれないと宣言されました。ヴェルトハイム氏は初めのうち鍼灸と漢方薬を用いて自分自身を治療しましたが、症状は急性から慢性へと変わり、長年にわたって重度の慢性疲労、38℃以上の熱、絶えず続く痛み、筋けいれんという主症状に苦しみ、一向に回復しませんでした。他の専門家や療法を探し求めるも効果がなく、どこの病院にも見放されるという状況下で、かつての教え子から施術を受けたのがボディートークの元になったテクニックだったのです。

そのテクニックとは、現在のボディートークプロトコールの一部となっている「体化学」の先駆けとなるテクニックでした。現在の体化学では唾液を使いますが当初はほんの少しの血液をヘソに置き、頭部をタップするという、ただそれだけのものでしたが、その効果は驚くべきものがありました。3日間は熱がさらに上がったのですが、4日目には平熱に戻り、ウイルスはさっぱりいなくなり、以後悪化することはなかったのです。

彼は医者にすら見放された状況を救ったこの技法の潜在力に感銘を受け、教え子に変わって研究を重ね、血液を信号伝達者として使い、脳を活性化するためにタップをしたことで、免疫系が、慢性ウイルス、感染症、寄生虫への攻撃を開始したことを発見しました。

ボディートークの基礎

この決定的な観察を発展させ、現代医学の高度専門領域、応用運動学、カイロプラクティックやオステオパシー、東洋医学のエネルギー理論など、自らの知見によってさまざまな医療、療法を取り入れながら、従来の医学、医療では治療が困難と考えられていた症状にも改善が期待できるボディートークの基礎を完成させました。

1998年、彼は背水の陣を敷き、オーストラリアから、カイロプラクターや鍼灸師の資格が使えない米国フロリダ州サラソータに移り、ボディートークの研究と実践に専念することを決め、ボディートークのみによる診療を開始しました。
異国でボディートーク一筋にかけた真摯な思いが、見事な成果として実を結びました。

ボディートークの進化

その初期から大いなる進化を遂げたボディートークシステムは、常に進歩し続けています。最初の大きな変革として、脳のタップで起こされた変化を記憶するために、心臓複合体をタップする手順が付け加えられました。これによって、変化が一時的なものではなく永続するようになりました。そののち、より深いフォーミュラ化のために、哲学、物理学および数学の先進的概念を取り入れ、それによって多種多様な症状に対応できるようになりました。

ヴェルトハイム氏は医学的モデル、特にエネルギー医学に動的システム理論を組み込むことを専門に研究を重ね、量子物理学の最新の発見に由来する概念を取り入れたさらに新しいテクニックを開発し続けました。
ボディ-トークの効果を確信したヴェルトハイム氏は、世界中にその教育を広められるよう、システムを誰にでも教えることができて、かつ即座に効果が期待できるシステムの手順とプロトコールを完成させ、インストラクターの養成を開始しました。

IBAの設立

その後まもなくIBA(International BodyTalk Association)が設立され、ヴェルトハイム氏の著作が多数の言語に翻訳され、現在35カ国以上で教育カリキュラムが整備され、8カ国語でボディートークの理念、技法を伝えるセミナーが実施されています。日本でも2006年秋より受講がスタートしました。2010年の数字ですが、世界で2,200人がカリキュラムを終了し、35カ国以上で認定ボディートーク施術士として活躍しています。年間5,000人以上の人が後に続こうとセミナーを受講し、IBAの会員数も年々増加しています。

ボディートークはヴェルトハイム氏とIBA学術委員会の研究によって、現在も発展を続けています。その応用範囲も、スポーツをはじめとする分野でのパフォーマンス向上や、動物のヘルスケアなど、従来の療法の領域を超えた多様な分野で効果が認められるようになっています。